「心霊と神秘世界」 第三章 念写と心霊写真

  第一節 長尾夫人の念写

   第一 念力による乾板の感光

 私が高の文字と哉天兆の文字とを撮影して現像せぬ二枚の乾板を、長尾夫人に送りて実験した所、二枚共に正当に透視されたことは、前章に於て詳しく叙述して置いた通りである。而して上の乾板は十二月十四日に私の許に送り届けられた。所が此の乾板に就いては、次に記するが如き不思議の現象が現はれて居た。
 私は菊池学士から送り返された二個の実験物即ち高の字と哉天兆の字とを撮影したる二枚の乾板を、十二月十五目午前に、私の附近にある某写真師の暗室で現像した。所が二枚共に、膜全面が甚しく感光して居た。高の字を撮影したる方は文字の認め難きまでに黒くなって居た。哉天兆の字を撮影したる方は第十八図Aの如く、文字は明瞭に認められるけれど、矢張全体に感光して居た。之を実験に使用せざる対象乾板Bと較べて見ればそれが能く理解出来る。
 は実に驚嘆すべき新事実である。それが唯外界から光線が透過して出来た結果であるなら、平々凡々の事であるけれど、種々の事情から考察して見ると、光線が包装の紙や箱を透過した結果であるとは、どうしても思はれない。して見ると、それは長尾夫人の精神の働きによりて現はれた現象と見るより外はない。私は斯く仮定し、それを前提として次の如き結論を演繹した。
 (一)長尾夫人の身体より一定距離の所に、三枚の乾板が並べて置かれると見る。そして夫人が其の中央なる一枚に向って精神を凝集するならば、それは無論感光するわけである。併し、此の感光が長尾夫人の身体より発する物質的放射能による結果であるならば、此の放射能は凡ての方面に平等に発散するから、中央の一枚の乾板が感光すると同時に、左右にある二枚も感光するわけである。即ち三枚の乾板は平等に感光するわけである。若しさうでなくて、此の感光が純粋なる精神の働きによる結果であるならば、其の働きの向けられた中央の一枚丈が感光して、左右の二枚は感光せぬわけである。
 (二)若し三枚並べた乾板の内で、中央の一枚丈が精神の働きで感光するものであるなら、一枚の乾板一局部に精神の働きを凝集すれば、其の一局部丈が感光して、他の部分は感光せぬわけである。私は此のことを局部感光と名けて置く。
 (三)若し精神の働きによりて局部感光が出来るものなら、円形又は方形の観念を以て、乾板の上に向って精神を凝集するならば、円形又は方形の局部感光が出来るわけである。即ち念写が出来るわけである。
 上は随分突飛なる考へであるけれど、私は之を実験して見る気になった。そして斯る考へから、今日の念写と言ふ振古未曾有の現象が発見されたのである。

   第二 念写の曙光

 私は大胆にも右の様な突飛な考へを実験して見る気になった。そこで十二月十六日、私は一枚の種板を黒紙にて幾重にも包み、其の表面に「一心」と書いた赤色紙を添付して、これを菊池氏の許に郵送した。そして、別に書面を出して、「一心の二字を強く見詰め、此の文字を種板の膜面に焼き付ける心持ちになりて、精神力を種板の中央に凝集することを夫人に依頼して下さい」と依頼した。而して更に「十二月二十五日頃、私は丸亀に行くから、それまで種板を貴殿の許に留め置き下さい」と附言して置いた。それから十二月二十五日、私は丸亀に行って見た所、上の種板は私の註文した通りの方法によりて実験されて居なかった。私は上の種板を菊池氏の手許から離して、長尾家に留め置いてはならぬと、呉々も頼んで置いたのであったが、菊池氏は「長尾判事が、彼(夫人)の気分の宜しい時にやらせるから、私の家に置いて下さいと言はれたから、已むを得ず種板を長尾家に置きました。」と言ふのであった。長尾氏は夫人に知らせぬ様に、此の種板を奥座敷の袋棚の内に秘し置いた。此の事を知らぬ夫人は三浦某の依頼によりて実験する時、透視によりて右袋棚中の種板に気付き、これに対して念カを送ったとの事である。斯様な次第で、私の目的とする実験は失敗に帰した。併し上の種板が如何様になって居るならんと思ひ、念の為めにこれを受け取り、石川写真館に行って現像して見ると、種板は黒漆を塗り付けた様に真黒に感光して居った。そこで私は石川写真館で新に種板一ダースを求め、其の内より一枚を取り出し、黒紙にて幾重にも包み、ボール箱に入れ、これを持って長尾家に行った。時は恰度十二月二十六日午後二時頃であった。私はA室(第八図)に行き、右のボール箱を更に他の白きボール箱に入れ、其の上に心の字を書いた紙を貼付した。そして私はこれを夫人に示して、次の如く言った。

今日は心の一字丈けを書きました。それで心の一字を種板に念じ込む気になって精神統一をひませう。
夫人は私の要求を諾し、水にて口を清め、精神統一に着手せんとしたる時、生憎来客が有ったので実験を中止した。私は種板入の箱を私の後方に置き、来客と談話しつゝあった。暫時を経ると、長尾氏は私を別室に招き、夫人が実験に心進み居るから、D室にて他人に知れざる様に実験されたしと語られた。それで私は箱を携へて長尾氏と其共にD室に入った。夫人も来た。私と夫人とは第十九図の如く三尺程を距てゝ相対しで坐し、長尾氏は傍の方に立會人として坐して居た。私はボール箱を膝の上に立て、心の文字ある方を夫人に向けて持って居た。夫人は両手を膝の上に置き、一分間程心の文字を熱心に凝視して居た。次に両眼を閉ぢ、面前に両掌を合して、天照皇大神宮と三度静に念唱した。次に合掌の手を膝の上に落して指と指とを組み合せ、南無観世音大菩薩と静に念唱した。そして暫時を経てから、夫人は両眼を開きて一礼し、
何か解りませんが、兎に角念じ込みました。こんなに汗が出ました。
 と言ひつゝ、額や腋の下の汗を拭ひ取った。是れで夫人の念写が終った。
 

 其の夜私は私の宿所なる阿波勘旅館に於て、室内の燈を消し、文学士源良英氏(今は文学博士久保良英氏)、坪井秀氏(岐阜県嫌揖斐郡の人)と立会の上で種板を現像して見た。処が心と言ふ文字の形は現はれて居らぬ。併し第二十図の如く、種板の中央部に何とも解らぬものゝ形が現はれて居った。其の形が心と言ふ文字でないけれど、兎に角精神の働きによって、種板の中央に局部的感光の現象を生じたと言ふ事は、実に不思議な出来事と言はねばならぬ。此の現象が念写の曙光であった。
 (後略)

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